下請け責任丸投げ法

まろんは猫である。

猫の世界には下請けは存在しない。故に、すべてが自己完結せねばならない。しかし、人間の世界には中間マージンを搾取して下請けに出す方式がある。

下請けは圧倒的に立場が弱い。大手からのおこぼれをもらって立ち回る以上、この図式からは、抜け出すのは容易ではない。その惨状に法律でも下請けが不利益を被らないようにフォローするが、下請会社がそれを守っていては成り立たないと、従業員にそのシワを寄せるのが実情である。しかし、今回は下請会社ではなく丸投げ会社にボヤく。

下請責任丸投げ法

昨今、評判が落ちていると考えるのはAmazonである。Amazonヤマト運輸と佐川急便をメインに配送していたが、佐川急便がギブアップしたことを受けて、デリバリープロバイダサービス(以下、DPS)を使うようになった。数多ある配送業者に過酷なノルマごと押し付けている。このDPSがとにかくサービスレベルが悪い。(ヤマト運輸と比べるからだろうが)

先日、まろんAmazonで購入した商品をDPSから「配達を断念」される出来事が起こった。

断念とはなんやねん。

まろんはプレミアム会員のため、翌日配送を手配したが、2日経っても3日経ってもこず、ステータスを確認してみると「配送できずキャンセルとなりました」的なニュアンスで表示されて"お終い"となった。その後の手当ては何もない。当然、時間がかかってでも配送されるだろうと思って、代品は購入していないため、予定を狂わされることになったわけだ。

しかし、まろんの怒りの矛先は、DPSよりも、なんの謝罪も手当もないAmazonに怒りが湧く。Amazonからすれば、丸投げした以上は責任はないとの見解であり、下請会社を締め付けるだけだ。それが許せない。

そしてuber eatsは最も悪い

さらに、評判が悪いのは緑のバッグを背負って街中を滑走するuber eatsである。本来、デリバリーを行なっていないデニーズや大戸屋や街の中華屋などの下請となり、民家へ食事を配送するサービスだ。このサービスはuber の社員が配達するのではなく、アカウント登録した個人が配送する。民間のアルバイトが配送する上に、指名制もないのだから「責任感」を求めるのは愚の骨頂。配達した商品がよれてようが、時間をおくれようが、届かなかろうが、アルバイトなら仕方がない。怒りの矛先は、そういった事態に責任丸投げで逃げるuber eatsである。

uber eatsの規約ではこうだ。

Uber自身は輸送サービスを提供しません。Uberは輸送業者ではありません。本アプリケーションおよび/または本サービスの利用を通じてリクエストが行われる輸送サービスを提供するか否かは、輸送業者の裁量に委ねられます。

詭弁もいいところ。輸送業者でないなら、緑のバックパックを何故使わなければならないのか。

これも下請責任丸投げ法。アルバイトは個人として請け負っており、責任を個人に擦りつけるそのスタンス。Amazonと同じである。しかし、ここでポイントなのはデニーズや大戸屋と言った元請けまでは反感が及ばないことだ。

下請会社は名前を出さない方がいい

理由は1つで、DPSは表立っては名前を出さない。配達する箱はAmazonマークの段ボールだし、配達時に名前も名乗らないため、受け取った人はAmazonの配達という認識を持つ。すなわち、責任の矛先がAmazonに向きやすい。

その一方で、Uber eatsはデニーズや大戸屋の看板は背負っていない。緑のデカデカとしたバッグにUber eatsと書かれた広告塔が街中を走り回っている。故に、ミスの責任は誰もがUber eatsが悪いと認識されてしまう。名前さえ出していなければミスがあっても元請飲食店に責任がシフトできたはずだ。

何故、これができないのか?

スキームが違う

Uber eatsは配送業者を自社で雇用しておらず、個人業者へ委託しているため、キャパシティが安定しない。配送要員を増やすためには知名度を上げなければならない。

一方で飲食店の看板を背負う(またはDPSの様に、それと認識されるような)と責任も負わなくてはならなくなり、それを、担保することは現実的ではない。

極め付けは、デリバリーサービスの受付をUber eatsのサイトで行ってしまっていることだ。

自前のUber eatsサイトで受け付ければ、飲食店同士の垣根を越え、魅力的な食事の中から、利用者が何を頼もうかとワクワクすることもできる。しかし、結果的に、「Uber eatsで頼むとロクなことがない」となり、返って足を引っ張る羽目に繋がっている。

生き残る下請けは?

DPSは生き残るが、Uber eats生き残れないだろう。

Amazonと違い、Uberが締め付ける相手が個人のためである。嫌になったらアルバイトは辞めればいい。Uberは、破門した代わりの人を集めるのにも苦労する。優秀な個人がいても、彼の配送キャパシティは限られている。

さらに、配送業者の品質にプラスアルファがない。求められていることは、決められたものを速やかに確実に届けるだけだ。これは、日本では出来て当たり前のこととされる。

一方でDPSは巧妙に隠れており、どんなに締め付けようとも、彼ら無くしてAmazonは成り立たない。結局、Amazonも弱い。

結びとして、起業もしていない民間個人へ委託し、責任逃れをするスキームが最高にいけていない。

品質向上施策が取りようのない個人委託で責任逃れをし、顧客満足度の向上を考えずに美味しいところだけを搾取する企業には、先細りする未来しか見えない。

このスキームで成功すると考えてる経営者を軽蔑する。

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人類が生み出した黒歴史

まろんは猫である。猫に歴史はない。野良猫コミュニティは都会では絶望的で、1つの世代ごとに隔離されて生涯を終えるからである。

しかし、人間は社会性が強く歴史を紡ぐ。その歴史の年月だけ長く太い縄が絡み合うように、解けることは無くなっていく。

その歴史の中でも、人類が生み出した黒歴史の1つが煙草だ。

百害あって一利なし

煙草は現代では百害あって一利なしというのが常識である。昔はオフィスの自席でも吸えたりと、この世の地獄だった。昨今では、副流煙を起点に、その締め付けを強化することに成功しているが、歩きタバコや自転車で吸いながら煙草を撒き散らしたりするテロも今だに多い。子供を連れてあるく時でも、そこらの男の両手に煙草が握られてないか目を配らせる。

極めて迷惑だ。

それを吸うことがステータスであった時代が、なんと愚かしいことか。

「煙草で得られるコミュニケーション」や「痩せるために吸っている」は中毒性と向き合えない人間心理における言い訳の常套句である。

麻薬の定義は人間が勝手にライン引きしたもの

もしタバコの概念がない世界であれば、煙草は違法薬物として規制されていることは明らかである。一時の安堵を得るために、その身体を蝕ませ、中毒性があり、副流煙で公害を撒き散らすのだ。麻薬にカテゴライズしてもなんら問題はない。しかし、現代では、既に社会に蔓延し、各国の経済基盤の一つに組み入れられてしまっている。それ故、今から麻薬としてライン引きすることはできない。

それが人類の黒歴史たる所以である。

最初の一歩を規制できなかった過ちが、永年に続く羽目になったのだ。その特性から、貧民街では横行することを止めることはできないし、輸出国も止めることはできない。なんと、人間とは愚かな生き物だろうか。

みんな、何かに酔わなくてはやっていられない

諌山先生の名作から引用してみる。人間のなんと弱いことか。コミュニティを形成しなければ生きていけないほど、人類は弱かった。しかし、コミュニティを形成すればするほど、コミュニティに還元するものを上位となり、できないものを下位となる。そして、誘惑に抗うことができず、何かに酔わなくてはやっていられなくなる。結局は、人間の持つ脆弱性から来ているのだ。

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まろんの人生を豊かにする料理店

まろんは猫である。

そして猫はグルメである。一度でも美味しい餌を口にしたが最後、古い味には決して戻らない。それが猫道である。

今回は、まろんの人生観を大きく変えた飯処を紹介しよう。

 

メゾンカイザー オフィシャルウェブサイト

メゾンカイザー

世界一のクロワッサン。これを食べないなんて人生損してる。

 

満洲について|ぎょうざの満洲採用サイト

餃子の満州

王将より3割美味い。これを食べたら他の店では餃子は頼めなくなる。

 

横浜のハンバーグ&ステーキレストラン【ハングリータイガー】

ハングリータイガー

ハンバーグかステーキかで問われたら、必ずステーキと答えていた固定概念を覆した。ここのオリジナルハンバーグとデミグラスソースは筆舌に尽くしがたい。BSE事件さえなければと悔やまれる。

 

https://www.sushinomidori.co.jp/

美登利寿司

魚嫌いでも大丈夫。お寿司って、こんなに違うんだ。

 

Barbacoa

バルバッコア

肉欲のリビドーを発散させてくれる。人生一度は無心に齧り付かねばならない。

 

骨付鳥 一鶴 -IKKAKU-:骨付鳥について一鶴

こんなにも衝撃の味があっただろうか。鶴肉といつも間違えられる。

 

「牛タン・とろろ・麦めし」健康・自然・おいしさにこだわる ねぎし

ねぎし

庶民のちょいプチ贅沢はここから始まる。店舗を一気に増やさず、サービスと品質を維持する料理店の鑑。

 

トップページ | 株式会社横浜桂林桂林

いままで食べてた中華料理て何だったの?これが世界三大料理

 

t.u.b associates | ティー・ユー・ビーアソシエイツ

こめらく

洋食にうつつを抜かした自分を取り戻させてくれる。心の底から米はうまい。

 

ステーキハウス ビーエム

ステーキハウスBM

都内でアメリカンステーキを食べるなら最高峰。決め手はオリジナルステーキソース。

 

HARBS

ハーブス

全国の苺好きならマストバイ。ストロベリータルト。

 

ほっともっと

ほっともっと

最後の晩餐は特唐揚げ弁当でいい。引っ越し先は、ほっともっとが近隣にある場所にすることを誓わせる。

 

本場喜多方ラーメンの老舗│喜多方ラーメン坂内

喜多方ラーメン 坂内

同僚に連れて行かれチャーシュー麺を食べた時、そこから、まろんのラーメンソムリエ道が始まった。

 

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事故は巻き込まれて起こる

まろんは猫である。昨今、痛ましい車の事故が多く発生している。池袋で母子が巻き込まれて死亡してしまった事件や、大津市で信号待ちしていた保育園児の列に車が突っ込んで死傷する事件も起きてしまった。どちらも交通ルールを守っていたわけだが、まろんは常々こう考えている。

事故は巻き込まれて起きる

事故というものは自分が起こすものではなく、基本的に起こされるものである。子供に教える時は赤信号を無視すると車に轢かれるので、青信号を渡れと教育するのは浅はかである。

赤信号で渡れば事故が起きるのは当たり前で、青信号で渡る時にこそ気をつけねばならないのだ。

事故とは1人で起こすものではない。互いに交通ルールを遵守することが重要であるが、「自分が交通ルールを守っているのだから、相手も守るはずである」と、問題の発生要因を外的要因に依存させてしまうからである。外的要因に依存した考え方は容易に破綻する。

モーニング娘。吉澤ひとみのように、赤信号を無視して飲酒運転で轢き逃げする人間もいるのだ。命に関わることについて「自己の正当性を主張する」ことは意味をなさない。

青信号の右を見て左を見て渡りましょうの本当の意味は、相手が止まる意思を持っているかを確認し、青信号でも突っ込んでくる車を警戒して有事には歩行者側が避けろということである。理不尽だが、命を奪われてからでは元も子もない。自分の命は自分で守る。交通弱者である歩行者こそが最善を尽くして警戒をしなくてはならない。

命を預かることの重さ

大津市の事故において保育園を責めるのは酷である。信号待ちの所に突っ込まれてしまうのだから、どうしようもないと考えるが、それは第三者の意見である。まろんが子を連れて歩く時には「遠回りしてでも車通りの少ない二車線の道を選ぶ」「通りの上から物が落ちてこないか確認する」「交差点ではガードレールや電信柱の後ろに立ち位置を置く」「車の影がなくなってから渡る(車間距離で渡らない)」など、あらゆるリスクの軽減を思考して慎重に慎重を重ねて歩く。

だが、保育園にそこまで期待するのは現実的ではない。預かっている子供は1人ではないし、保育士の人数も限られている。できることは、とにかく交通ルールを遵守することで精一杯だ。そこが、「親との違い」である。子供の命の重さは親にしかわからない。故に、命の責任を預けられるのは親でしかない。

事故は起こしたいわけではない

誰もが事故を起こそうと思って起こすわけではない。人間が不完全である以上、事故をなくすことは不可能だ。

システムの世界ではフェールセーフやフェールソフトという考え方がある。問題が起きた時に最悪の状態だけは避けようとする動きだ。無傷ではすまなかったとしても、不幸な出来事だけは避けられるように、各自が考えて尽くすことで、救われる命があるなら、そうありたいと考える。

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ネットに潜む危険性

まろんは猫である。

猫の世界にインターネットはない。閉鎖的な空間でしか生きていないため、退屈なようではあるが、何かに踊らされることもない。

その中でも、まろんだけはインターネット黎明期から接してきた。故にどれだけ信用できないことかも知っている。

嘘は嘘であると見抜ける人でないと難しい。

2000年に当日2ちゃんねるを運営していた「ひろゆき」氏が使った言葉だが、インターネットの掲示板での使い方のみならず、インターネット自体を使う上でも、その言葉は実に的を射ている。

あらゆる角度を持ったユーザーが無責任に発言を刺して回ることができるのがインターネットであり、その言葉の信憑性は皆無である。公的ではない第三者の意図により、誘導されたものであることを、今一度、認識すべきである。

否定的な少数派の意見がさも大多数であるかのように映る

例えば、このような記事があったとする。

夫の扶養から抜け出したい~専業主婦の挑戦~1:「共働き」って堂々と言える? | ママの求人

妻の育児を理解しようともせずに自己の主張を押し付けるダメ夫である。

そして、ツイッターで「育児 旦那 手伝ってくれる」などで検索すると、ネガティブな要素ばかりが目立つ。これをみて、世の中の男性全体は基本的に育児に理解がないと受け取りがちだが、これは典型的な誤認である。

何故なら、肯定的な意見など、記事を探す側は最初から求めていないからだ。

私生活が充実している人間は肯定的な意見など交わさない。交わす必要性がない。「えっ?うちの旦那は手伝ってくれるけど、、みんなは違うの?」とでも言えば、速攻で袋叩きにあうのがインターネットであり、現に辻希美が証明している。

辻希美オフィシャルブログ「のんピース」Powered by Ameba

私生活が充実でポジティブな人間は肯定的な人間を探す必要性がない。よって、「うちもこんな遊びをしました!」「こんないいことがありました!」という発言もする必要がなく、母集団は小さくなる。

その点、ネガティブな人間は、相手のアラを探し、自分たちと同じ不幸な境遇な人間を探し、ムジナ同士で集まろうとする。そして、その集団が不幸自慢を発信するので、大多数の意見であるかのように目に付くようになる。

しかし、それは錯覚であり、大抵の真実はその逆数である。

周りもネガティブな人がたくさんいるよ!というのは何の意味もなく、統計を取るまでわからない。しかし、統計を取る必要がない。最初からそんな結果などどうでもよく、ただ自分を肯定する意見だけを見ていたいのだ。

しかし、それすらも第三者により無意識に誘導された結果である。

藤島康介さん、初代からサクラ大戦キャラデザをやっていたのに外されるも惜しむ声ゼロ説 : オレ的ゲーム速報@刃

痛いニュース(ノ∀`) : 【画像】 「サクラ大戦」新作発表 キャラデザは「BLEACH」の久保帯人 - ライブドアブログ

 

同じことについて、肯定派と否定派が、互い知らずに、自分たちに友好的な意見だけまとめた結果である。記事は事実であるが、キャラクターデザインの是非についての有用性については便所の落書き程度でしかない。

重要なのは冒頭にある、ひろゆき氏の言葉であり、危険なのは「ほら!こんな意見がたくさんある!世の中の流れは自分にある!」と、片方の意見だけを見て錯覚することだ。

まとめ

インターネットを使う上で寛容であるのは「娯楽」であり、あなたの考えを「肯定」する意見を探すことに使ってはならない。そして、ポジティブな意見はネットに敢えて書き溜める必要などない。

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相変わらずセクハラのラインが分からない人たち

まろんは猫である。猫界では言語が少ないためセクハラに当たることがないと思われていることと思うが、逆に春先ではメスがオスにセクハラをばら撒いて歩くときがあるので、迷惑している。だが、それ以上に人間界ではセクハラ問題が深刻なようだ。

こういうのはセクハラです。こう話しましょうというやり取りをツイッターで見かけると、必ず沸いて出るのは、それを理解できない男脳である。

例えば、「可愛いね」はセクハラです。というと、「それはおかしい」「性的な意味はない。女性たちなら良くて男性ならダメなら、ジェンダー.バイアスだ。」などと理論を振り回し始める。

女性もさぞかし気苦労が絶えないことだと思う。

男脳は理論に当てはめて考える習性があり、どこが境界かを決めたがる。それは狩において同じ失敗を2度繰り返さないための生き抜く知恵だ。一度引いたラインを論理付けたら、そのラインを超えない限りは安全と判断する。それができない男は、狩ができずに淘汰されてきた。しかし、そんな考えは対人関係のコミニュケーションにおいてはミスディレクションであり、「可愛いね」「優しいね」が良いだのダメだのといったケースの開示はそれを誘発させやすい。なので、いつまでたってもセクハラが理解できない男脳に告げる。

  • セクハラを判断するのは相手でありお前ではない。
  • 万人の女性に通用する万能な言葉などない。
  • お前の価値観はどうでも良い。(例 これはセーフ/アウト)
  • 同じ単語でもお前が発言するからアウト

では、どうしたら良いのか?と思われるかもしれないが、その考え方が既にハラスメント。

いい加減に、自分の境界を論理で相手に押し付けてマウントしようとする癖はやめなさい。これは感情であり、理屈の問題ではないのだ。

(と言っても、人から押し付けられた価値観を認めるのは沽券に関わるので、考え方を改める人などコンマ数パーセントなのだが。。男とは面倒くさい限りだ。)

では、「終始話しかけないのが安全」とスネる輩もいるが、そう思うのであれば話しかけなくて結構である。まったく興味がない男性が、土足で突然に踏み込んでくる嫌悪感の想像がつかないのであれば。

察するに根底には無意識な男性上位の考えが社会に根付いているからのようにも思える。日本の女性における政界進出は158位だというが、もし、関連性があるのであれば、向こう100年間は日本のセクハラ事情は解決しそうにない。

 

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迷惑動画を投稿する若者たち

まろんは猫である。猫はスマホを扱えないが、最近では若年層ですらスマホを持っている。そのスマホの手軽さ故、歪んだ形で用いられる事がある。昨今、SNSで飲食店での衛生面で問題のある動画が多く上がっている。

セブンイレブンくら寿司、はま寿司、バーミヤン。様々なところが取り上げられているか、なぜこのような事象が起きてしまうのか。

自己顕示欲

これに尽きる。平たく言えば、「さすが、俺たちにはできないことをやってのけるゥ!そこに痺れる憧れるゥ!」である。自分の狭いコミュニティでの優位性を発揮しようとする行為だ。子供の社会ではありがちで、特に上下関係で立場を見る傾向にある男子社会に起きやすい。これに関して、くら寿司では賠償責任まで問うとして進めている。しかし、それは大人の社会における大人への対処手法だ。

SNSの危険性

何十年も前から、自己顕示欲による暴走はあった。まろんが子供の時は、万引き自慢も流行っていた。学校のガラスを割ることもあった。むろん、見えないところで、今回と同じような悪ふざけもあったが、スマートデバイスがない時代のため、いずれにしても、学校のクラスに拡散される程度で済んでいたのだ。知らなければ、気にならなかったものが、SNSを通じて社会に拡散されたため、消費者と繋がりができ、クレームに発展してしまうのが不幸の要因である。1人の悪ふざけが、企業全体の損害に繋がってしまう。これは昔には無かったことである。

本人たちは理解していない

そもそも、自立していない子供のしでかすことだけに、本人は自分の行いがどのような影響を及ぼすのか理解していないし、理解できない。それは罰則を適用しても同じことで、根本的な解決にはならない。

子供たちは「そんなつもりはなかった」「ちょっとした悪ふざけだった」でしかなく、それを大人のルールで一方的に裁くのは社会通念では公平かもしれないが、子供たちは不幸である。

本質的な問題は、最近の若者が変わってしまったのではなく、社会の変化についていけていない国民にある。すなわち、教育である。SNSが普及したのは最近で、大人である教職員や親は、子供達より馴染みがない。「なんで、そんな馬鹿なことをしたんだ!」と怒り散らすのは、保護者としての義務を果たさず、権利を主張する行為だ。

本来、SNSについて理解し、教育しなければならない大人が危険性を理解できていないのだから、子供を躾けることなどできない。ニュースを見とけ!や、学校で注意のプリントを配って終わるのは教育ではない。

Lineグループやツイッターの鍵垢でやったとしても、誰かがオープンコミュニティに複製してしまえば、終わりである。SNSはへの対応は、そんなに甘くない。

以降は、若者向けへのメッセージとする。

やるなら、21世紀のやり方を学べ

悪ふざけをなくす方法を語るのは、他の大人に任せるとして、まろんは「そんなに尾崎豊をしたいなら、21世紀のやり方を学べ」と言いたい。

  1. SNSに投稿するのは自分の所有物で行うこと。(購入したアイドルのCDを腹いせに自宅で全て破壊する。)
  2. 友人を証人として立ち合わせるが、録画するのは、自分の携帯のみとし、複製はさせない。送信もさせない。学校で見せて回るようにする。
  3. そんなに破壊したいなら、自宅を破壊して、親との殴り合いを中継する。
  4. それでも、自制できない状態であれば、責任が転嫁されず個人に帰属する悪ふざけをして、収監されること。(覚醒剤、窃盗罪、器物破損罪。)

SNSを活用しろ

昨今の生活から、切っても切り離せないツールなのだから、いっそのこと活用する方法を考える。SNSを個人マスコミの集合体として考えれば良い。すなわち、悪いことを拡散させるのではなく、良いことを拡散させるように利用する。

「ボランティア」「創作」「特技」「趣味」なんでもいい。人から良い感心もSNSでは拡散するのだ。悪ふざけとは違い、「単発」では関心を持たれないが、「続けること」で、悪ふざけと違って「真似ができず」、「心が洗練され」、自分の中のズッシリとした骨格となる。

オフラインの実感が積み上がれば、オンラインの知らない人間の評価やコメントなど、意に介さなくなっている。

 

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