読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

日常品は贅沢をする

まろんの流儀に、日常品は贅沢をするというものがある。月に数回しか使わない家具にはお金をかけないが、毎日使うベッド、机、椅子、パソコンなどにはお金を掛けるのだ。使用頻度が高ければ、低品質なアイテムと利用比較したときのメリットが大きく跳ねるからである。

例えばベッドは、有明本社ショールーム|家具・インテリアの大塚家具に展示してあるものの中から、一番寝心地の良いフランス製の高級ベッドを選んできた。お試しで横になると、その場で眠り出しそうになるのが凄さを物語っている。

椅子は技術屋鉄板のアーロンチェア - オフィスチェア - ハーマンミラーである。何時間も引きこもり作業していても、疲れたということが皆無になる魔法のアイテムだ。

パソコンはヘキサディスプレイ(6枚液晶)と最新鋭のCPUを搭載。まろんの技術力を最大限に発揮できる。

これぞ、まろん帝国である。我が国の進撃は止まることを知らぬのだ。

ちなみに、これらのアイテムは嫁さんと暮らす時に全部お蔵入りしている。

まろんは今日もニトリの座椅子に座り、ニトリの敷布団で眠りにつき、パソコンは点けた記憶もない生活を送るのである。

 f:id:jizou2199:20170403215745j:image

 

靴はブランド品に限る

まろんは靴というものにこだわりが全くなかった。パソコンのメモリと靴はノーブランドで良いと思っていたのだが、実際、靴の方はそうではなかった。

それまでは、イトーヨーカドーで適当な靴を選んでいたが、半年ほどで必ず履き潰してしまっていた。営業職ではないので、そんなに歩くものではないのだが...そういうものだと割り切っていた。

ブランド

会社にフルマラソンを走っちゃう同僚がいる。マラソンを走った次の日は、ゾンビのように足を引きずって会社に来るので、いつ走ったかが大変わかりやすい。そんな彼に靴のことをすこし相談して見た。

「靴は絶対ブランド品じゃなきゃダメだよ!」という。ブランド...?ABCマート?ぐらいの知識しかなかったのだが、話を聞くと、ミズノとかナイキとかアシックスとか、引きこもりのまろんでも聞いたことがあるメーカーが出てきた。

早速、新橋のアシックスストアで靴を購入してみると、正直驚いた。個人の足のサイズを計測し、左右の足の違いやバランスをデータ化。中敷による調整など、まろんが考えもつかなかったサービスが至れり尽くせりだ。まろんが扁平足で、べた足インファイトしかできないボクサータイプだと初めて知った。

無論、実際の履き心地も抜群。その場で履いて帰り、古い靴は処分をお願いした。

そこから、歩くのが楽しくなり、週末にはウォーキングに繰り出すなどガンガンに酷使していくが、まったく壊れないし、性能は落ちない。さすがに5年たったらメッシュに穴が空いたので、再度、アシックスに持ち込むと、履きすぎだとのこと。なんと物持ちのいいことか。

たしかに、2万円ぐらいするのだが、いままでは半年で6000円だったのだ。歩くときの負担も格段に少ないし、コストパフォーマンスが断然いい。最初からこっちにしておけばと思った。安物買いの銭失いもはこのことだ。ちなみに、まろんが仕事で履いているのはRUNWALK® | アシックス | ウォーキング | アシックス Japanである。先月、履き潰したので、まったく同じのをください!と言ってきて、いまは2代目である。

噂では、エルメスやルイヴィトンのバッグも性能が格段に違うと聞く。老舗のブランドはただのネームブランドではないのだなと思い、まろんは今日も家で引きこもるのである。

 

f:id:jizou2199:20170331085053j:image

まろんによる時間がない人のためのボヤキ

まろんが思うに人生で厄介な言葉の1つが、「時間がない。(後でやる」)である。色んなところで聞くことがあるが、これを言い出す人がいた場合は、相当な覚悟を持つか、やってもらうことを諦めた方がいい。

時間がないは誤り

「時間がない」は正しい表現ではない。時間は人により差があるわけではない。万物に与えられた時間の感覚は1日24時間と等しい。故に、正しい表現は、「自分の24時間の中で、そのことに時間を割り当てる余裕がない」であり、物事に対するプライオリティが低いことが問題である。

時間を作れも不適切

よく「時間を作れ」と言うが、これも遠回しな言い方だ。正しくは、「貴方の中で物事の重要性を認識しプライオリティを向上させろ」である。

これは無理な話だ。長年、自分の中で形成してきた価値観を他人の一言で変えることなど、自我を持つ人間では不可能だ。このような言い訳をする人間には、それなりの対応が必要となる。

もし、子供がゲームばかりで勉強をしていないのであれば、子供は勉強の価値を正しく理解していないだけである。「勉強をやりなさい」と言うのではなく、勉強することの重要性と楽しさを本人に理解してもらい、自分でゲーム時間を削り、勉強時間を組み込ませる意識の改革をさせなければならない。

これを親の権威や強い言葉で抑圧して実行させることは、良い結果を生み出すことに繋がらないだろう。やっていいのは、旦那への朝のゴミ出しを命じる程度だ。そして、意識改革は、一朝一夕でできることではない。逆にコロッコロ人の言うことに左右されるのであれは、アイデンティティに問題がある。意識改革させるにはオーバーに言えば、宣教師にならなければならない。

よって、「時間がない」と語る人を説得する場合は、十分覚悟することである。

 f:id:jizou2199:20170317125523j:image

 

 

 

 

まろんによる全力で電車に座るための分析術

まろんは電車通勤である。結婚前は通勤10分だったが、今では通勤1時間15分が課せられた。

果てることのない...通勤地獄...!

乗り越えるには...そう...座席の確保!

サラリーマン達による熾烈な座席競争に打ち勝たねばならない...!

某先生風に語ればこんなところである。まろんは、2時間かかる人にくらべれば遥かにマシだし、帰宅時は座れるのでハングリー精神にかけるかもしれないが、座れるものなら座る。その為に、まろんは勝利の方程式を立てた。

兎にも角にも立ち位置

搭乗する電車は、まろんの駅に着くときには座席は100パーセント埋まっているが、吊革の占拠率は20パーセント程度である。

つまり、プラットホームでの陣取りに失敗しなければ、大抵の吊革位置は確保できるようになっている。となれば、早めに座席を開けて降りそうな乗客を、こちらで選ぶことができる。ただし、ドア付近の座席は混雑率が120パーセントなので確信を持ったとき以外は危険である。

乗客の顔と降りる駅を暗記する

まろんが最初に思ったのは、決められた時刻の電車に乗れば、見知った顔が出てくることだ。つまり、乗客の顔を覚えて降りる駅を暗記してしまえばいい。実にシンプルだが確実な勝ち方である。

しかし、思惑は早々に破綻する。まず、赤の他人の顔を全員覚えるのは、想像以上に困難だ。それに毎回同じ座席に座る人はいない

 服装で判別する

まろんの通勤電車は都心に向かって行く電車である。1時間の間に15駅ぐらいあるだろうか。顔を覚えようとして失敗し続けたまろんは、日々の通勤の中である傾向が見えてきた。

都心に向かう電車ということは、最後まで乗っている人間は典型的なサラリーマンである。逆に近所のおばさんが都心に向かうことはない。

これらを判断するための適切な材料は何か?ズバリ服装である。服装をカテゴライズするとこうなる。

  • 学生服

学生は制服で容易に判断できる。大抵が近場の学校で、相当な狙い目だ。学生を見つけたら、いの一番で手前に立とう。

  • 軽装

平日の朝に主婦層やご老人がいれば、まず近場で降りる。荷物を持っていない、カジュアルな服装、子連れ、靴がハイヒールでない場合は遠くへは行かず、乗り換えがある駅で降りて行く可能性が大だ。女性の割合が多く、ここを見抜くことで座る確率がグッとあがる。

  • スーツ

スーツはサラリーマンの象徴。最悪の相手だ。どこに行くか見当もつかず判断することができない。絶対にスーツを着てる人の前に立たないこと。

モーション

基本的な判断は服装で判断する。

さらに確率を高めるため、避けるべき乗客のモーションを整理する。

  • 寝てる

寝る余裕があるというのは、目的地が相当先であるためだ。寝ている人の前には立たないこと。

スマホを扱う層はバリバリのリーマン、ウーマンなので危険だ。通勤時間は長いことが多い。

  • 音楽を聴いたり本を読んでいる

スマホよりはマシであるが、暇つぶしの道具を持っているというのはやはり危険。たとえば、一駅で降りるのならば本など持ち歩かない。まろんも以前、通勤は一駅だったが、本は持ち歩かなくなった。

  • 網棚の上に荷物を置いている

これはすぐに降りない気満々ではないか。

  • 何もせずぼっとしている

これが肝要。軽装でぼっとしている人は、大抵すぐにおりるのだ。過ごし方に工夫がないのは、乗り慣れていないか、目的地が近いからである。

禁断の秘技

車両の端にある優先座席の前に張り込む技だ。優先席を利用する人は遠出しないことが多い。しかし、他の人に譲らなければならないことがあるので、注意しよう。

失敗から学ぶ

なお、どんなに最善を尽くしても的を外すことがある。狙った席の隣が空いたりするときは、歯ぎしりものである。しかし、注目すべきは、おりる人の様相だ。どんな人が早い段階で降りたのか?これを見続けることで選球眼も鍛えられて行く。長い通勤人生。少しでも楽をしたいではないか。

 f:id:jizou2199:20170316131619j:image

 

まろんの断捨離収納テクニック

 断捨離テクニック

まろんは物を持たない。故に物は溢れない。溢れて困っている人は、まろんの断捨離テクニックをぜひ実践してもらいたい。
たった2つのことを守るだけである。 

 
其の壱.1年以上使わなかったものを捨てる 

非常用と備蓄と思い出の品を除き、1年間使わなかったものを全て廃棄しよう。たったこれだけで状況は一転し、新鮮な空気を味わうことができる。春夏秋冬を通して使わなかったものは、翌年も使うことはない。使わなくても生活可能であるし、一つずつ無くなっていっても気付きもしない。
名探偵コナンやワンピースなど、終わりの見えない書籍にスペースを食いつぶされてはいないだろうか。読みかけの本はないだろうか。滅多に着ない服はないだろうか。無ければ無いで成り立つのである。全てゴミ箱行きにしよう。もし、時折読み返したいと思うのであれば、電子化してしまえばいい。(実際は、電子化したことに満足して2度と読まないのだが。)
勿体無いと思うかも知れないが、それは単なる収集癖だ。これが、空間を圧迫しているのがほとんどであり、それに気付かずスペースが無いことを嘆くのが人間の心理だ。広い部屋に住み変えても同じくスペースを食い潰すだろう。捨てることを後悔するのではなく、捨てられないことを後悔すべきなのだ。


其の弐.ゴミを捨てる

よもやゴミを保管してはいまいだろうか。冷蔵庫の中を見てみよう。消費期限がすぎているものや、取り出したことのないものがあるではないか。貰い物だと捨てられない和菓子などはないだろうか。貰い物は気持ちを汲み取ればいいのである。少しだけ齧って廃棄しよう。
棚を見てみよう。封筒や便箋など、読み終えたら不要なものを保管してはいないだろうか。会員登録の情報などは、スマホで写メっておくだけでいいのである。

 

まろんの収納術

まろんは実家生活が長かったため、収納に気を使うことがほとんどなかった。しかし、独り立ちすると、そういうわけにもいかなくなる。初めはせっせこ、物を集めすぎないように気をつけていたが、生活必需品だけでもごまんとあるのだ。どう収納しようか悩んでいると、まろんの奥さんがDAISOで突っ張り棒を購入して来て、ちょっとした隙間でも物を釣ることができるようにしてくれた。まろんは今までは100円ショップに行くことが無かったので、この出来事には大変な感銘を受けた。そこからは100円ショップにハマることになる。

空間を平面と錯覚

色々と試行錯誤するうちに、収納のコツは高さを意識することだと気付いた。すなわち、空間を平面として見てしまっていることが問題だったのである。周りの収納棚に目を通すと多くの空間がある事がわかるはずだ。そこに積み上げるのではなく収納するのである。配送業者のトラックの荷台のごとくにだ。そのためのケースや土台は100円ショップで購入できる。これだけでも相当なスペースを確保可能だが、そこから一歩下がり、視線をフロア全体に集めると、逆マトリョーシカのように収納できる空間があることに気がつくはず。フロアもまた一つの箱なのだ。壁に吊るすこともできる。家具同士の隙間も、高さを意識すると空きスペースだらけだ。空間を制するものは収納を制するのである。

この意識を持ってもスペースがないというのは、単純に物が捨てられないだけである。

f:id:jizou2199:20170316131516j:image 

 

まろんのラーメン道

まろんは自称ラーメンソムリエである。

会社の同僚に連れられて東京は神田の(今は無き)喜多方ラーメン坂内でチャーシュー麺を食べたことに感動したのが始まりだ。それまでは即席麺しか食べてこなかったので、衝撃は大きかった。次にコテコテの天下一品に連れて行ってもらい、ラーメンの奥深さを知ることになる。そこからは坂道を転がるように、ラーメンを食べて続けて来たところ、やがてはラーメンの写真とプレビューを見るだけで味の想像が付くようになった。誠にメタボな異能力である。ここでは、まろんのラーメン道をボヤくとしよう。

美味しいラーメンはどこ?

ラーメンソムリエのまろんは、よくこの質問を受ける。しかし、悲しきかな。まろんは決して答えることはない。何故なら、ラーメンは嗜好品であり、人によって味覚が異なるからだ。人には好き嫌いがある。ニンニクとショウガが苦手な人もいる。魚介を嫌いな人もいる。まろんの奥さんですら、その味覚を推し量ることは難しいのだ。仮に味噌ラーメンで美味しいところがあるかと聞かれても、「スープはアッサリ?コッテリ?味噌の種類は?具材は何を重点するの?チャーシューは豚バラ?それとも肩ロース?トンカツ乗せちゃうとこもあるけど?麺は?西山製麺?それとも浅草開化楼?」とスターバックスで呪文を唱えるかのごとく捲し立てたところで、外国人に道を尋ねられたかのような顔をされる。
よって、まろんの定規で推し図り薦めることは相手にとって失礼である。
強いて言うなら、料理が得意なお店なら答えることができる。ラーメンが抜群に上手くなくても、マスターが料理上手であるかはすぐに分かる。そういうお店は何を頼んでも大抵、美味い。

ただ、まろんからそんな話を聞くぐらいなら、食べログを見た方が情報量も多く正確であるが。。

売れるラーメンとは?

全ての人が満点を出すことはラーメンでなくとも不可能である。ラーメンで三つ星を出すのは容易ではない。となれば、平均点を取るか、特定の人に満点を出すかを選ばなくてはならない。ここで平均点を出すことにしたラーメンは世に言う売れるラーメンとなる。例えば、日高屋の中華そばや、喜多方坂内など、チェーン展開やフランチャイズ展開が盛んなラーメンだ。衝撃的に美味い訳ではないが、普通に誰が食べても美味い。費用対効果の高さも想像に難くない。まさに売れるラーメンだ。
逆に突出した人気を誇る最たる例はラーメン二郎だろう。その尖り具合から、万人受けはしないが、一部の人にはジロリアンという中毒者を生み出すほど至高である。どちらを好むかは人それぞれだが、若い時のまろんは、後者に当たる、私にだけ美味いと感じられるラーメンを探したいと思った。

 そこで、ラーメンデータベースhttps://ramendb.supleks.jp/というサイトを活用して未知なるラーメン開拓に胸を躍らせたものだ。これがラーメンソムリエとしての始まりなのであった。

そして卒業へ...

まろんは何年も掛けたラーメン行脚によって、醤油ラーメン、塩ラーメン、味噌ラーメン、豚骨醤油ラーメン、魚介系ラーメン(まろんは、豚骨ラーメンは基本食べない)などにおいて、(自分の中で)「これ以上美味い店はない」と確信できる店を見つけることができた。

一度、その領域の店を見つけてしまうと、新しい店を開拓しようとしても、その店舗以上の味は、まずありえないと考えてしまう。更に冒頭でも述べたが、写真とプレビューをみるだけで、ある程度の味が想像できるので、店に足を運ぶ必要も無くなってしまった。意気消沈だ。中には想像を絶する味に出会うこともあるだろうが、金銭もなければ時間もないのだ。

猫にも妥協が必要である。そうなると、「ずっと、その店で食べればいいじゃん!」と結論付けられたことで、新たにラーメンを開拓をする必要が無くなった。故に卒業である。

昔ほど頻繁に食べなくなったとはいえ、時折食べることがある。そんなときに、店に入る前に味が分かる異能力はかなり役に立つ。

どんな道でも、ある程度突き詰めてみるのは面白い発見があるものだ。

 ちなみに、ラーメンソムリエと名付けてくれたのはユーモア溢れる同僚である。そのセンスには脱帽である。改めて感謝の意を表したい。

 f:id:jizou2199:20170316131219p:image

 

まろんがSNSを見限ったワケ

SNSとの出会い

昔のことであるが、某SNSが活動し始めたとき、まろんにも得難い友人からのフレンド招待がやって来た。

SNSでは友達からの招待がないと、ログインして利用することができなかったのだ。

どんなものかと、早速、ログインしてみると、周りは知らない人ばかりであるため(当然だが)、みんなの日常を公開し、触れてもらうことに注力しているようだった。

確かに、SNS上で一人ぼっちのときに出来ることといえば、友達を作ることから始めるしかないのだろう。

趣味が合ったり興味が湧いた人のブログの記事を開き、コメントを残していく。

すると、コメントを残した人が気になってブログを覗きにいく。そしてコメントのお返しをする。

そうすることで、徐々にではあるが、村社会が出来上がっていくのだ。そう、SNSは小さなコミュニティの集合体となっていた。

まろんは、そこから形成されたコミュニティに、ある種の違和感を感じることになる。

SNSのオトモダチ

ブログの中身は実にたわいもない。

レストランでの食事の感想や遊びに行った感想。愚痴。失敗談。よくある景色だ。しかし、人が集まるにつれてコミュニティは斜め上に舵をとりだす。

例えば、「遊んでて勉強できなかった!」という記事が出る。

これがリアルの友人であれば「お前、計画性なさすぎ。先にやってから遊べよ」とでもなるが、SNSのオトモダチはそうはならない。

「遊んでる方が楽しいよね。今度は頑張って!」になる。すると、周りがその意見に同調していく。

それもそうだ。

SNSのオトモダチは友達ではない。

彼の失敗など知ったことではないし、彼の将来を案じる必要性もない。無責任な立場から言えることといえば、現在の関係性を保つために「肯定」する。

 一縷の正義

エスカレートしても状況は変わらない。

「オーダーと違う注文が出てきたから、店員に土下座させて、外の看板蹴り倒してきた!」といった記事が出たとしても、コミュニティで交わされる会話は「いいね」である。

「そもそも、お店が間違えるのが悪い!怒っていい!」とでも言って、そのコミュニティを維持しようとするために、文脈から読み取れる一縷の正義を振りかざす。

実際は注文を2点3点させてたり、伝えた気になっていただけかもしれないが、そんな事まで気を回す必要がないし、気にすることもない。

「肯定」してはいけないのは、自分の発言がトリガーになりそうな時ぐらいである。

例えば、土下座させるのは強要罪で、看板の蹴り倒しは器物損壊罪に抵触する恐れがあるが、これを「いいね」すると、コミュニティ内に存在する「ある種の境界」を越えたときに、逆に自分が叩かれたり、コミュニティで孤立する恐れがある。

しかし、無意識にでもその境界を見定め、当たり障りのない物言いに変えることは難しくない。

勘違い

まろんSNSを見限ったのは、この手の擁護を勘違いして受け取っている友人が大変多かったからである。失敗しても許される。擁護される。これを、親身になって言ってくれているのだと錯覚し、自分がコミュニティ障害を患っていることに気がつかないのだ。自身の成長が停滞していることに目を瞑り、傷の舐め合いを演じ続ける。そして、ズルズルと深みにはまり、抜け出せなくなっていく。

見ているのも見られているのも嫌になり、まろんSNSを止めた。

SNSの本当の使い方

これはシンプルで、SNSのオトモダチと友人になればいい。もちろん、パソコンを閉じたオフでの話だ。SNSはリアルな友人を見つけて交流を図るための、有意義なコミュニティツールなのだ。決して、インターネットが日常のオタクが、自分の居場所を築くためのツールではない。

その点、フェイスブックは良くできている。

顔や氏名を公開し、最初からリアルの友人でコミュニティを形成する。1から自分を取り繕う必要は無くなった。あとは同じ趣味のものを遊びに誘ってみるだけだ。

ちなみに、まろんはインドア派なのでSNSは不要である。

 f:id:jizou2199:20170316131025j:image