何故、時が過ぎるのは早いものでと言うのか

まろんは申年である。気がつけば師走が過ぎて、年が明けてしまった。

「一年が過ぎるのは早いですね〜」と仲間内で語り合った人も多いと思うが、さて、なぜこの挨拶なのだろうか。時が過ぎるのが早い(短い)とは本当だろうか?

その理由をまろん的に考察してみる。

 

時が過ぎるのは早いのか?

よく例えられているのは、「ジャネーの法則」である。(引用wikipedia)

簡単に言えば生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)。

例えば、50歳の人間にとって1年の長さは人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する。よって、50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間に当たり、5歳の人間の1日が50歳の人間の10日に当たることになる。

他にも、歳を重ねることにより新鮮味がなくなる。同じことを繰り返すことにより慣れてしまう。という意見もある。

しかし、まろんはこれを真っ向から否定する。

いずれも、時間の概念ではなく充実の尺度で推し量っていると考えるからだ。一年という時間を「充実して過ごしたか」「充実できなかったか」を時間に結びつけることは歪曲である。

子供は時間の流れが遅かったのか?

何かに熱中して遊んでいればあっという間に1日が終わっている。

むしろ早かったと感じるはずだ。

 

大人でも、結婚して新しい家庭を持ち、新居に住み始め...としたときに、時間が遅く感じるか?否。早く感じるはずだ。

すなわち、年齢によって時の流れの感じ方が異なることはない。

有限である尊き時間が、儚くも消失しまったことを憂うことに差などないのだ。

これに納得できない人は、心情的な時の猶予を意識しているだけである。

 

異なる尺度

時間を失ったことに、安易に他人と同調するのは早計である。
何故ならば、「時間を失った」と捉えている人種と「時間が過ぎ去った」と捉えている人種がいるからだ。
リア充リア充と置き換えると分かり易い。今年は(充実した良い一年が)終わってしまいましたね。という人と、今年は(なんの進展もない退屈した一年が)が終わりましたね。という二つの尺度が存在している。

 

「時が過ぎるのは早いもので〜」と言うのは何故か?

年齢や生活スタイルにより時の経過の速度に差がないことを前提とする。

では、一年が早いというのは何を意味しているのだろうか。
この言葉は、年末年始で親族や友人と寄り集まり、思い返した時に、言うことがことが多い。


年が明けて1週間で「もう1週間か!早えな!」とは、いちいち考えないのであるから、一定の時間の積み上げがないと意識できないレベルであることと、「1月の2周目は特に早くなかった?」など、個人のよく分からない基準を持ってこられても共感できないことから、一年という万人が共通して測量し易いものに対して、積み上げた時間の価値が儚く散ることの憂いを持って共感を得る行為であると、まろんは定義する。

 

結論

以上から、「時が過ぎるのは早いもので〜」という言葉は、相容れない二つの人種(非リア充リア充)が、久しぶりに会った人と「何から話したらいいかわかんねぇ!」という状況を打開するために、時間が消失したという互いの共通項について、うわべだけの言葉で手軽に共感を得ることができる「希少な表現」であるとともに、一部の人では、時が過ぎるのが早いという慣用句が、充実感がなくなってきている人生と混同して解釈されることで憂いを増している便利な挨拶である。

 

とりあえず草臥れたので寝ることにする。

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