プレッシャーは掛けているのは自分自身

まろんにはプレッシャーというものがない。しかし、人間には、期待に応えようとするときに感じることがあるようだ。中にはプレッシャーに押しつぶされてしまう人もいるらしい。

まろんからすれば、プレッシャーに押しつぶされる人間とは興味深い。

何かが物理的に乗っかっているわけではない。心理的な要素として乗っかっているのだ。しかし、シャーマンの呪術のように第三者がプレッシャーを掛ける魔術を行使し続けているわけではない。では、誰がプレッシャーを掛けているのか?トドのつまり自分自身ではないか。

自分をコントロールできるのは自分しかない

言葉はナイフのように突き刺さるという。しかし、刺さるか刺さらないかを判断するのは自分であるし、抜くも抜かぬも自分である。他人の期待をどのように解釈し受け止めて行動するかも自分なのだ。ここ一番の期待に応えるために己を鼓舞することは良いことだろう。しかし、押しつぶされては元も子もない。

例えを出す。テストで100点を期待されているとする。しかし、満点を取るのは至難である。運もある。

あるとき、分からない問題に遭遇する。パニックになる。どれだけ検算しても怪しく見える。時間だけが過ぎていく。気がついたときには、タイムオーバー。本来解ける問題も取り逃がす。

・・・似たような経験がある学生もいるだろう。しかし、よく考えて欲しい。

その満点を取る期待に応えられなければ何が変わるのだろうか?

この場合であれば、その一問を早々に見限り、次の問題に行けば済む話である。それ以外がパーフェクトなら98点は取れたかもしれない。では、その2点に固執する理由は何だろうか?それが「貴方の人生にとってどこまで影響するのか?」

実は、大概にして、なんの影響もない。

一つや二つ頭を下げるだけでどうにでも解決できるものがほとんどだ。なら、謝って終わらせればいい。

重大だと思い込んでいるのは自分自身であり、プレッシャーを掛けているのも自分自身なのである。

全ての出来事に100パーセントの期待に応えようとすることは非現実的で、それをこなそうとするのは、自分が承認欲求に絡め取られているのである。

自分をコントロールできるのは、自分しかいない。自分が主役の人生において、過度なプレッシャーで失敗することは、勿体ない。他人は自分が思ってる以上に無責任である。物事の価値を決めるのは他人ではなく自分なのだ。

いま、プレッシャーで潰れそうな人は、冷静になろう。

その上で、何かを削ることを選択する。ダメージが少ないものから順に削って行く。

プレッシャーを感じる時点で、既に何かが手遅れであることを悟るのだ。

100点ではなく90点を取りに行く。

それでも、人生は十分にうまく回る。

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