人間はあらゆる事象に畏怖を抱き、適当な解釈で安堵を得る

まろんは猫である。

人間を見ていると、ある1つのことに気が付く。人間はあらゆる事象に畏怖を抱くのだ。昨今の二大ニュースをあげる。

事実と真実の解明

オウム真理教 麻原彰晃の死刑が執行された。そのことを受け、どこのテレビも特番を報道した。

「あの事件は真実が解明されないまま終焉を迎えた。」民放のテレビを見ていると、よくよくこの言葉をコメンテーターが口にしているが、私は報道を見ている限りでは、事件は解明がされているとの印象を受ける。何がこのギャップを生んでいるのか?それは、事実と真実の違いによるものだ。

事実とは「あの事件は誰が主犯格で、部下にどういう指示をして、どのように決行された。それにより、どのような被害が発生したー」

これは、当時の状況と照らし合わせて、限りなく明らかとなっている。

では、解明されないと騒いでいる真実とは何か。それは、麻原彰晃氏が何故、そのような考えと行動に至ったかであるという。彼が最後まで真実を口にしなかったからだそうだ。

真実は明らかにならない

では、どうしたら納得できたのか?どちらが真実であるか二つのパターンを例に出してみよう。

A.麻原氏「むしゃくしゃしてやった」

B.麻原氏「私はこれこれ、こういう気持ちで、こう考えたから実行した」

どちらかを選んだ人は、既に本質を見誤っていると言える。

答えは、C「わからない。」だ。

多くの人間がパターンBにすがるが、これは真実ではない。実際はAかもしれないのだ。そんなものは、当人しか知り得ないし、当人すら(深層心理まで潜りこんで導き出した解でなければ)よく分かっていない。

しかし、そんなことはどうでもいい。

それっぽい麻原氏が発言し、それが報道されれば、真実はどうでもよく、人間は安堵でき、それが真実だったと完結するのだ。

つまり、真実を明らかにしたいのではなく、真実だと納得できる材料を与えてもらい、腹落ちしたいだけのである。

まろんは、猫であるために事実だけあれば事欠かない。しかし、全ての事象に解を求めてしまうことは、既に宗教性に陥りかけているのだろう。無宗教派と語る人には、実に皮肉なことだ。

西日本豪雨

未曾有の豪雨で大きな被害が出てしまった。しかし、まろんが気になっているのは次の報道だ。

  • 地球温暖化で不安を煽る無責任派
  • 安倍政権の責任にする左翼

前者は、根拠を明らかにしないまま無責任に発言して不安を煽りつつ、それっぽいことが、真実であると誘導する。真に受けてしまう人は、思考が停止しているので、誰かに騙されてしまったり、流されるタイプだろう。過去にない気象といっても、数値を取り始めたのは100年もないし、今の地域にその形で町を築き始めたのは最近だ。46億年の歴史ではなく、都合よく100年の歴史を物差しにするのは、何にでも説明と理解が必要な真実病に冒されてる。

後者は、偏向報道ばかり流すテレビ局がやっているが、「そうか!政治が悪いんだ!」と真実として、解釈してくれる人がいれば儲け物として、数撃ちゃ当たる戦法だ。却って自分たちの支持率を落とすことに繋がっていることに気がついていないのが面白い。重要なことは「ベストを尽くしているか」であり、「あらゆる出来事を予見し完璧に対応したか」ではない。

 

f:id:jizou2199:20180715092542j:image