教師への暴力

クローズアップ現代で教師への暴力を特集していた。スマートフォンで撮影された生徒による教師への暴力が波紋を呼んだ件である。後に警察が介入する形となり、文字通り教師への暴力がクローズアップされている。

昔と立場が逆転している

一昔前は教師による生徒への体罰が常習化していた。明らかに一発レッドカードのような体験をしたこともある。しかし、今ではその立場が逆転し始めている。なぜ、そのように暴力が蔓延るのかは趣旨と異なるため、棚上げをしておく。

教師への暴力に対する正解とは?

今回のケースでは教師は生徒からの暴力の後、それを無視して授業を継続することになったが、どうするのが正解であったのだろうか?

事はそんなに単純ではない。

「正解」とは、誰にとっての正解であるかを明確にしなければならない。学校の立場に立つのか、生徒の立場に立つのか、それとも、法律に沿った解釈をするのを正解とするのか。

法律に沿った解釈をすれば、結論は大概にして一定であるが、何れにせよ、万人にとっての正解など皆無であることを意識しなければならない。よって定量的な数学の解を求める訳でもない事柄に、第三者が「正解」という言葉で話すこと自体に意味がない。

警察を介入させるべきか?

昔は散々、生徒に体罰を加えたくせに、今は教師が警察を呼ぶのかという...おおっと...私情が挟みそうになる。。

クローズアップ現代でインタビューを受けていた女性教職員は、生徒にバットで殴打された経験を持っており、「警察は必ず呼ぶべき」との考えである。

さて、これも何を正解とするかによって答えが変わる。

無論、傷害事件ではあり、「警察を介入させることができる」権利があるが、「警察を介入させなければならない」義務はない。学校という閉鎖的な空間で起きた出来事なのであるから、まずは、当事者と関係者を含めて解決(学校としての問題認知や再発防止のプロセスも含めて)可能な方法を模索してから結論を出しても遅くはない。

自分の仕事場での出来事であり、且つ、その後に選択可能なプロセスをショートカットして「とにかく警察を呼べばいい」という姿勢は、大人が社会で長く働いていきたいのであれば推奨できない。

教職員の立場とは?

親御さんを含めて対立するのが、この問題である。何を期待しているのか、何をすべきなのか。昨今の風潮に飲まれて、家庭と学校のパワーバランスの傾きが大きく変わってきているが、教職員が常日頃から何を意識して取り組んでいるのかによって、その回答は異なる。

クローズアップ現代では、校長先生が「警察を呼ぶのは負けである」と語っていた。ストレートすぎる発言だが、満更、分からなくもない。

その真意は、教職員という立場は子供が成長していく過程に置いて接する時間が長く、その影響を与えてしまい易い立場にある。それは教師が望もうが望むまいが、子供の親が望もうが望むまいがである。その中で生まれたエゴが、「教師とは聖職者」であり、「負けである」に繋がるのではなかろうか。

昨今は教師にそこまで期待しない風潮でもある。しかし、学校生活の中で、教師を尊敬して、新たな可能性を見出す子供もいない訳ではない。親が子供と向き合わず、教師が親の代わりに子供と向き合うことで救うことができることもある。そんな話をいくらしたところで空中戦にしかならない。

教師の立場とは、自分の心に問いかけて、それを信じて貫くより他にない。

存在しないマニュアルを探すのではなく1つずつ適切な解を導き出し続けるのが、コミュニーケーションを生業とする職業の十字架ではなかろうか。

一番の被害者はその他の生徒

教師が暴力を受けようが、警察を呼ぼうが絶対に守らなければならないものが一つある。

それは「生徒の勉強する権利」である。

これだけは誰の心情にも左右されない、絶対的な指針である。

問題児の生徒が暴れてクラスを滅茶苦茶にしようが、先生が生徒を抑えつけたり口論したりしようが、貴方のクラスには「学校に来て学ぼうとしている生徒」がいることを決して忘れてはならない。

一番の被害者は、事件の当事者ではなく、授業を中断され、ただ、争いを傍観させられているその他大勢の生徒である。その子たちのことを考えて行動することができれば、貴方は自分の教職員の立場として責務を全うしたと誇っていいだろう。

その横で、問題の起こした生徒の親や身内の校長が、ガーガー叫んでいるかもしれないが、それは、たった「1/40」の問題だ。

 

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