心技体

 

まろんは猫である。まろんは遊ぶときに「ニャンスポーツ」を日夜繰り広げて、主人の睡眠を妨げているが、この度はアメリカで凄惨な事件が起きてしまったようだ。

e-sports(ゲーム大会)において、大会のゲームに負けた腹いせで銃乱射を行い、死傷者を出した挙句、犯人は拳銃で自殺をしたようだ。

通常のスポーツでは負けた腹いせで銃乱射など聞いたことがない。しかし、黎明期にあるe-sportsで早々に事件が発生してしまった。

そもそもスポーツなんかと呼ばない

以前もe-sportsについてボヤいているが、そもそもスポーツと呼びたがってるのは、それによって金儲けを企んでいる輩だけである。まろんの主人もゲーマーではあるが、「スポーツ」などとは微塵にも感じたことも考えたこともない。ゲームの相互理解については浸透してもらいたいと思う側面はあるが、それとこれとは別の話である。

何が欠落しているのか?

仮にスポーツと定義したときに、なぜこのような事件が発生するのか?

何が違うのか?

考えてみると、一番しっくりくるのは、古木 源之助著 『 柔術独習書 』由来とされている「心技体」であると、まろんは考える。

『心』

心が豊かであれば、体は鍛錬されていき、技に磨きが掛かる。

『技』

技を磨き上げれば、心が豊かに育ち、体も鍛錬されていく。

『体』

体を鍛錬すればこそ、技は我が身に染まり、心が豊かに安定する。

この3要素なバランスが三位一体となったとき、最高のパフォーマンスを発揮するという。しかし、e-sportsをやっているものの大半は、「技」しかない。「心」「体」は何処かに置いてきてしまっている。平たく言えば、メンタルが幼稚なのである。これもテレビゲーム故の特性だろう。

日本のプロゲーマー「ウメハラ」は、心体を補うためにジムトレーニングを行っているが、実に理に適っているのではないか。

勝負に負けて思うのは悔しい

故にアスリートは勝負に負けて思うことは「悔しい」である。自分に悔しい。次は勝ちたい。だから頑張れる。そんなプラスなメンタルに対して、ゲームの勝負に負けて思うのは悔しいではなく、大半の人は「イラつく」である。結果、チートを使ってでも勝てば「愉悦」を感じ、それでいいと考える者もいる。マイナスなメンタルを動機にしているものが少なくないのだ。

心が幼稚で身体が強くないものが、暴力に訴えるとしたら、拳銃が手っ取り早い。

そんな、メンタルがこのような銃乱射に結びついたのではなかろうか。

ゲームやスポーツに限らず

人として健全に過ごすためには、スポーツであろうとビジネスであろうと、「心技体」については意識すべきだと強く感じた。家の中に篭っていても、心や体は疎かになり「衰弱」していく。筋肉を維持するのは大変だとか、時間がないとか、言い訳を考えるのは既に「衰弱」が始まっているのかもしれない。結果として、健全な人生が待っているのであれば、そこには進んで投資すべきなのだろう。

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