事故は巻き込まれて起こる

まろんは猫である。昨今、痛ましい車の事故が多く発生している。池袋で母子が巻き込まれて死亡してしまった事件や、大津市で信号待ちしていた保育園児の列に車が突っ込んで死傷する事件も起きてしまった。どちらも交通ルールを守っていたわけだが、まろんは常々こう考えている。

事故は巻き込まれて起きる

事故というものは自分が起こすものではなく、基本的に起こされるものである。子供に教える時は赤信号を無視すると車に轢かれるので、青信号を渡れと教育するのは浅はかである。

赤信号で渡れば事故が起きるのは当たり前で、青信号で渡る時にこそ気をつけねばならないのだ。

事故とは1人で起こすものではない。互いに交通ルールを遵守することが重要であるが、「自分が交通ルールを守っているのだから、相手も守るはずである」と、問題の発生要因を外的要因に依存させてしまうからである。外的要因に依存した考え方は容易に破綻する。

モーニング娘。吉澤ひとみのように、赤信号を無視して飲酒運転で轢き逃げする人間もいるのだ。命に関わることについて「自己の正当性を主張する」ことは意味をなさない。

青信号の右を見て左を見て渡りましょうの本当の意味は、相手が止まる意思を持っているかを確認し、青信号でも突っ込んでくる車を警戒して有事には歩行者側が避けろということである。理不尽だが、命を奪われてからでは元も子もない。自分の命は自分で守る。交通弱者である歩行者こそが最善を尽くして警戒をしなくてはならない。

命を預かることの重さ

大津市の事故において保育園を責めるのは酷である。信号待ちの所に突っ込まれてしまうのだから、どうしようもないと考えるが、それは第三者の意見である。まろんが子を連れて歩く時には「遠回りしてでも車通りの少ない二車線の道を選ぶ」「通りの上から物が落ちてこないか確認する」「交差点ではガードレールや電信柱の後ろに立ち位置を置く」「車の影がなくなってから渡る(車間距離で渡らない)」など、あらゆるリスクの軽減を思考して慎重に慎重を重ねて歩く。

だが、保育園にそこまで期待するのは現実的ではない。預かっている子供は1人ではないし、保育士の人数も限られている。できることは、とにかく交通ルールを遵守することで精一杯だ。そこが、「親との違い」である。子供の命の重さは親にしかわからない。故に、命の責任を預けられるのは親でしかない。

事故は起こしたいわけではない

誰もが事故を起こそうと思って起こすわけではない。人間が不完全である以上、事故をなくすことは不可能だ。

システムの世界ではフェールセーフやフェールソフトという考え方がある。問題が起きた時に最悪の状態だけは避けようとする動きだ。無傷ではすまなかったとしても、不幸な出来事だけは避けられるように、各自が考えて尽くすことで、救われる命があるなら、そうありたいと考える。

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